「スピリチュアル」と聞いて、怪しい、いかがわしいというイメージを持つ方も一般的にはまだまだ多いかもしれません。
スピリチュアル系の話をすると引かれた、という話をよく耳にします。
相手が引いたから二度と話さない、でもいいでしょうし、その人には引かれたけど自分が感じたままに話しただけだから、今後も必要があれば話す、でもなんでもいいと思います。
引かれた=スピリチュアルの話題に関しては、話した相手と自分の周波数が現時点では異なる、というだけなのです。
周波数が合う人は他にいるので、その人と会う時は、極力スピリチュアル関連の話をしないか、自分の言動に責任を持っていれば、相手にどんな反応をされようが自分が単に思ったら自信を持って話すでしょう。
相手から引かれたから二度とスピリチュアルな話はしない=自分が変な人だと思われた、自分が期待した反応を相手がしてくれなかった、などの思いがあるはずです。
二度と話さないのも自由ですが、私がここで気づいてほしいのは、この場合であれば、いつも相手の顔色を気にして、気に入られるように会話をしている自分や、相手に期待や、同意を求めて会話をしている自分、に気づいてほしいのです。
アドバイスや意見を求められていないのに、何でもスピリチュアルに結びつけて結論づけることは、スピリチュアルに興味のない相手にとって失礼で、不快極まりない行為にあたりますので、ライトワーカーがすべきことではないでしょう。
自分にも相手にも自由意思がありますから、相手がどんな反応をしようと自分が思ったからただ伝えただけで、相手から同意を得ようとする必要はありません。自分が相手に期待しているので、そうではない反応をされた時にショックだったり、不満や嫌悪感を抱いたりするのです。
会話は相手があって成り立つものですから、相手の反応を見て会話はしますが、自分の正直な意思表示も加えればいいだけです。
自分の意思表示ができない人は、人とのコミュニケーションが苦手だったり、うまくコミュニケーションをとろうとしているにも関わらず、なぜか誤解されたり、報われないということが起きます。
わかりやすい例をあげます。
自分が興味があって行ったお店で、そこの商品を勧められたことに嫌悪感を抱いたことはありますか?
あるという方、
もしこれが、自分の欲しいものを勧められた時はどう思うでしょうか?
嫌悪感どころか、嬉しいですよね。
商品や物を勧められて嫌悪感を持つ人は、そのお店(その人)は自分に商品を勧めてこないだろうという期待や、自分の財布が利用されるのではないかという恐れ、まるで自分が被害者かのように不運だと勝手に思い込むのです。
何かを勧められても、自分がきっぱり断ればいいだけなのに、それが自分にはできなくて、その不満を外で吐く人もいますが、私はそれはその人にネガティブに根付いた思い癖だと思いますし、本人が気づいていないお金に対するブロックだとも捉えています。
なぜなら、そのお店に何らかの興味があって自分から出向いたのは事実ですし、売る商品を扱っているお店なのですから、当然のことながら勧められる可能性は少なからずあるわけです。
ただ、そのやり方はお店それぞれで、商品を勧めるお店もあれば、勧めてこないお店もあり、あなたはそのお店を勧めてこないお店だと勝手に思い込んだのです。
あるいは「こういうお店は勧めてこない」という固定観念があったのでしょう。
お店の営業の仕方は自由で、それも彼らの仕事の一貫です。
自分が買いたいものを相手が絶妙に勧めてきたら、人は喜んで購入を決めます。
そうではない時、人は嫌悪感や怒り、不満をあらわにします。
人ってわがままですよね。
このようにブロックや思い込みというものは、自分が知らないうちに自分の中で成長を続け、がっちり根付き、あなたの思考、言動、行動を制限するのです。
自分の中のネガティブなブロックに気づいたら、逃げずに、完全に認めて改めることです。
恐れは単なる妄想です。
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