知ってるだけ

 

自分の立ち位置が変わることで、初めてわかることは多いものです。

 

私の場合、十代の頃から神秘的な世界に興味はありましたが、それを生業とせず、色々な職種や職場経験を積んだおかげで現在の仕事の大きな礎となりました。

 

運営側に立つことで、消費者側では絶対に気づけないことに自ら気づき、消費者側だった自分が気恥ずかしくなったこともありました。

 

運営側に立つことは、自分の魂を輝かせる新しい学びが始まります。

 

向上心がどんどん芽生え、物の考え方も視野も、どんどん広くなり、意識は高くなります。

 

自分の好きな仕事だけで、収入を得て暮らすことは簡単なことなのですが、怠け癖がある人は向かないでしょう。

 

人生を賭けられるほどの情熱がなければ、起業や運営の継続は無理だと思います。

 

生半可な腰掛、目先のお金が欲しいだけの意識、どこにでもあるようなありきたりの真似事では、最良の結果は生まれないことを私はこれまでの6年間で学び、他者を介して見てきました。

 

そして、これからもたくさん学んでいくと思います。

 

学びは終わることなく、どのような立場であれ、どのような職種であれ、この世に生きている以上自分について回ります。

 

何度も挫折と失敗をくりかえしている時点で、意識や取り組み方が間違っていて、それに気づけない人は退職したり、廃業を選択するのでしょう。

 

その失敗や挫折から、自分は何を学んでいるかに気づけた人は、その後もその仕事を継続できます。

 

よく私が感じるのは、知識として知っているだけでは、できていることにはならない、ということです。

 

数年前こんなことがありました。

ある一般の方が医療現場、職種について自分の持論ではなく、医療業界全体の話として言及していました。

内容に不可解な点があったので、友人の現役の医療従事者に確認したところ、そんな事実は医療業界にはない、想像の範疇だとバッサリきられました。

 

医療従事者ではない一般人が、興味本位にそのような話を吹聴することに友人は失望していました。

 

真実の話として他者に話をするのは自由なのですが、聞かされた方の人が本質を見抜けない人だったら、すべてを鵜呑みにしてしまいます。

 

そうでなくても、人の噂話やゴシップ話が好きな人は世の中にごまんといますし、それでごはんを食べている人も世の中にはいますからね。

 

知識として『知っている』のと、自分が実践・経験して『できている』のとでは、まるで次元が違うことだと私は思っています。

 

 

本質を見極める目を養うには、自分の日々の経験を積むしかありません。

 

経年劣化するメッキではなく、長く輝く自分でいたいものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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