ホームページを自分で作り始めたのが2011年の冬。
テンプレートを変更したりで削除した記事もかなりありますが、
今日のブログで700記事を突破しました。
普通に見てすごい数字だなと我ながら感心しました。
まさに継続は力なり
好きこそものの上手なれ
初めての記事をアップした時は、それはそれは緊張とワクワクの大興奮でした。
ええ、誰も見てないと思いますけどね(笑)
世間の人が書いているブログというものがどんなもので、
自分でもブログを書いてみたくて、
一人でも何かの役に立てばいいと思い書き続けました。
そして、これからも自己満足でありながら人の役に立つヒントを発信していきたいと思います。
いつも私のブログを楽しみにしている皆様、
ありがとうございます。
今日は自分を自由にさせない要素の一つ『羞恥心』について書きます。
私が最初のブログをアップした時は、抵抗するというよりは恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。
羞恥心は、人間に与えられた自尊心の延長上にあるものだと思うのですが、過度に感じてしまうと行動の萎縮に繋がります。
それは、社会で人と共存する上で自分を解放しない、制限する生き方に繋がると私は思っています。
会社員時代の私は、人前で泣くのは負けを認めることで、人として惨めなこと、プライドが絶対に許さないところがありましたが、そのおかげで大変きつい人生を歩みました。
同僚は人を貶めるライバル、敵にしか見えず、仕事をしない上司に対して尊敬の念はなかったので、とにかく上げ足をとられないよう、人前で恥をかかないように完璧になんでもやってやろうと、ごっつい鎧を着て心の中では緊張でいっぱいでした。
そんな毎日でしたので、私は素晴らしい成果が突然舞い込むこともあれば、自らで難しい問題、状況、人を引き寄せたり、考えられない大失態を起こすというジェットコースターぶりを発揮していました。
そんな生き方なので最終的に厄介な病気を引き寄せました。
最も涙を見せたくない、私にパワハラをした人の前で私は号泣しました。
そして、スピリチュアルの世界を真剣に学ぶ中で、自分の気持ちや自分の感情に素直になることがとても大切なことだと腑に落ちました。
我慢したものやネガティブな感情は、体のある部分に残り、意識上では忘れていても決してなくならないということ。そして、それがある限り、それを解放するための現実を引き寄せるのです。
解放していないものがある限り、現実の出来事も、自分の気分も、いつも同じ状態をくりかえします。
それらが解放された時、同じ出来事や状態を二度とくりかえさなくなるのです。
そうなると、出来事はポジティブに解決しやすくなり、気分もどんどん軽くなるので引き寄せることもそれに正比例します。
この体験をすると、いかに自分が自分らしく生きてこなかったかに気づくでしょう。
泣きたい時に泣く、怒る時は怒る、です。
感情は、なくそうとしてなくなるものではありません。
喜怒哀楽、どの感情も私たちは生まれた時から備えています。
怒りなどの荒々しい感情(エネルギー)を否定ではなく解放し、それをポジティブに解放する術を身につけることも人間は可能なのです。
私たち一人ひとりの存在自体が神聖な贈り物です。
協調性も大切ですが、自分の思いや真実を伝えることはもっと大切です。
自分は何のためにそこで働いているのか・・・
気づいて行動です。