痛みを伴うから気づける

前回のブログで腰痛の話をしました。

 

わざわざ肉体をまとっているからこそ、痛みを感じることもできるわけで、気づくべきことにも気づくわけです。

 

痛みが伴わない軽い症状で毎度済むなら、それに越したことはないでしょうが、そこまでの柔軟性と高い意識を持って生きていけるほど、人間今まで教育を受けてきていない場合が一般的で、今までの習慣がものをいいます。

 

何の努力もせずに何でも簡単にできてしまったら、地球で肉体をまとって、感情を伴って生きている意味がなくなってしまいます。

 

人生山あり谷あり、どこでどんな状況に置かれても、すぐに挫折せず、ふてくされず、素直な気持ちでチャレンジしたり、目的に向かって立て直す高い意識で生きるためには、目には見えない世界を学ぶトレーニングが必要です。

 

 

痛みがあるのに、ないフリをしたり、面倒だから、嫌だからといって、痛みの根源を避けることはできません。

 

痛みを避け続けた結果が、今の痛みなのですから、根本治療が必要なわけです。

 

大人になると、損得勘定から、自分が損をすること、失敗することを極端に避けようとする人が多くなりますが、カルマの法則により、今までの生き様がそのまま自分に返ってきて、その後の人生の中ですべて自分の手で刈り取ることになります。

 

問題を先延ばしにしたからといって、問題がなくなることはありません。

 

問題を先延ばしにしたからといって、問題が軽くなるわけでもありません。

 

むしろ、問題を先延ばしにすることで、さらなる複雑と困難、負担が増えることになるでしょう。

 

 

神様や高次元の存在たちは、フットワークの軽い人間、行動に移す人間にはどんどんサポートをしてきますが、腰が重い人間には、それがその人間の自由意志だと尊重し手を貸しません。

 

 

江原啓之さんが『不幸の三冠』としてよく挙げておられるのが、

 

・自己憐憫(自分だけが可哀そうという被害者意識)

・責任転嫁(誰かのせいにして自分は責任をとらない)

・依存

 

です。

 

私も深く共感しています。

 

自律できない、人に甘えや依存心が強い人ほど責任転嫁しますし、自分の予想と反することが起きると被害者になり、それでいて、そこから自分を

出そうとはしない。

 

 

人でできた傷は、人で癒されます。

 

自分の中に、痛みやネガティブな感情が生まれた時こそ、魂は『気づいて!そしてよくしたい!』と叫んでいて、人間は痛みを感じるのです。

 

ですので、心身に痛みを感じる時や、ネガティブな感情が生まれた時は、『それらを克服する絶好の機会が訪れました、今がチャレンジの時です』と言われている時なのです。

 

自分の成長には欠かせない、これらのネガティブな反応を嫌わないでください。

 

光がある分だけ闇がある。光と闇はいつも表裏一体です。

 

単純に、視点を変えれば、見えていることも逆に見ることもできるのです。

 

視点を広く、高い意識で生きるようになると、これらのネガティブな反応が、自分をよりよく成長させるための絶好の機会だとわかるでしょう。

 

 

ですから、自分が何のためにここへ来たかを知ることはとても重要なことなのです。

 

本当の自分を見つけてください。

 

 

 

 

 

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