20年来の友人に整体師がいるのですが、師走ということもあり先日会う機会がありました。
この整体師の奥さんのほうも私の友人で、このご夫婦、結婚前に二人で世界一周の旅に出たり、自分たちの結婚式で夫婦獅子舞をやったり、結婚後は四国八十八か所巡りのお遍路に行ったり、インドに行ったりと、とっても仲がいいのですが、実は奥さんのほうはスピリチュアルに興味がない人なんです。
『興味はないけど理解がある』と自分で言ってましたが(笑)、まさにそこ大事なところなんですよ。
二人がインドに行った時は、別行動をしていたそうです。
相手を尊重することは人間関係で大切なことで、根底には『愛』があるからできるのです。
真実の愛とは、相手を”自由”にさせること、です。
ご主人のほうは、目に見えない世界や宇宙に関心が高い人なので、私はこの友人と会うと、前のめりに宇宙の話で盛り上がってしまいます(笑)
先日の忘年会に奥さんたちと集まり、帰りはご主人が車で迎えに来て、もれなく私も乗せてもらって帰りました。
また宇宙の話ができる♪と私はワクワクしていたのですが、ご主人は以前から気功に強い関心があり、それを取り入れたビジネスを考えているのだけれども、周囲がいい顔をしない、完全否定派の環境にいると言っていました。
聞けば、雇っている従業員まで『騙されないでくださいよ!』などと言ってくるそうです(笑)
こういう状況や風潮って、一般社会ではまだまだあると思います。
目に見えないことやスピリチュアルを不信視する、反対する、嫌がる。
スピリチュアル=拒絶反応を示す人がいまだにいるようですが、それも自由意志なので仕方ないのでしょう。
人間それぞれに存在する次元が異なりますから。
わかっていることは、極端な反応をする人ほど、心の深いところでは興味があるということです。
考えてみてください、なぜそれほど強く反応するのか?あるいは感情的になるのか?ですよ。図星か、強く意識しているからですよね。
本当に興味がない時って反応しませんから、無反応、無関心なはずなのです。
スピリチュアルを不信視する人というのは、メディア等で見てきた宗教集団の怖いイメージが強く根付いている人なのです。
世界で起こっているテロ事件、芸能人でもありましたよね、洗脳やマインドコントロールによるイメージが強烈なのでしょう。
そもそも人間には、信仰の自由があり、言論の自由があり、個人の自由意志がありますからね。
誰が何を信仰してようと関係ないのです。
スピリチュアルに対し、根拠のないブロックを持っている人がまだまだ多い印象です。
でも、最近の本屋さんの精神世界コーナーって見たことあります?
めちゃくちゃ拡大されてますからね。
それに、私たちが酸素を吸って生きていられるのって誰のおかげかな?
私たちの体って、そもそも何でできているか知ってます?
説明を求められた時どう説明するか?というところも個人の器量です。
だから、自分の周囲に否定派や不信視する人がいる時は、自分の中にも自己否定や自信のなさが現れている時なのです。
極端にいえば、何を聞かれても大丈夫!っていうぐらい日々勉強して、実際にそれで他者の役に立っているところを見せていくしかないと思いますし、長期戦で計画を立ててやっていくしかないと思います。人の観念なので、そこは一朝一夕にはいかないと思います。
なので、目に見えない世界や波動をビジネスにする時、興味がある人だけ対象にすればいいのです。そうすれば話も早いし、望む結果以上のことが双方に自動的に押し寄せますから!
興味がない人に中途半端に話すから誤解されて、時間を無駄にしてしまうのです。
意味のない時間は、自分の価値を下げてしまいます。
興味がある人に話す、見せる、提供する、売る。
はじめは興味がない人でも、生きづらさや何かのきっかけで意識が変わり依頼が来る場合もありますから、来た時はいつもどおりに応じる。
ただそれだけです。
自分の周りに、これから自分がやろうとしていることを反対されたり、否定される時は、なぜ相手はそう感じるのか?なぜ思うのか?をよく聞いてあげることも大切です。
それをしていると本人がいつも楽しそうで、機嫌がよく、他者の役に立っていることがわかれば、反対する人はいなくなります。
周囲から不信視、不安視される岐路に立たされる人というのは、周囲も含めた大きな課題にチャレンジする時で、同時に、自分の中の不安感や不信感を完全に払拭すれば周囲の反応も180度変わります。
やりがいとは、自分にしかわかりません。
自分がいる次元を変えれば、同じ人でも反応が変わります。
そこまでして自分がやりたいことなのか?
周囲の反対にあっただけでやめてしまう程度のことなのか?
やらないであとから後悔する人生を過ごすのか?
どこを選んでも自由ですが、自分が本当にやりたいことをやって、自分の人生の質を向上させたいなら、自分が変わるしかないのです。