スピリチュアルの世界、宇宙、オーラ、ビジョン、天使や妖精が見たい、神秘的なことに少しでも興味のある方は、ぜひ自分の体を使って体験してほしいと私は思います。
なにかを始める時、誰かの体験談は判断材料の1つですが、こればっかりは100%自分に合致するとは限らないので、あくまでも参考程度におさえておくといいでしょう。
大事なことは、スピリチュアルの世界は『直感』がものをいう世界です。
なので、自分の直感力を養えばいいわけですが、それは独学では限界があります。
見えない世界とやりとりするには、見える体を整える必要があります。
多くの人は誰かの体験談と自分を比較して、自分がそのレベルに達していないことに劣等感を持ちますが、こういう場合、まずはその劣等感の真相を探る必要があります。
劣等感があるかぎり、何をどれだけ、どれほど優れた何かを始めても、また同じように劣等感が湧いてきます。また振り出しに戻る、みたいな感じです。
疲れますよね。
現在の自分がいる次元によって、高次の存在の見え方は異なると思いますが、人の個性があるようにサイキック能力にも個性があります。
自分は見えてないと思い込んでいるけど、実は昔からそれは見えてた、わかってた、すでにそうしてた、のようなことは誰でも何かしらあるはずです。
私はこれまでに1000回以上のアチューンメントをしてきましたが、体感がないと言い切る人には共通点があります。
それは、頑固さとエゴです。
まず頑固についてですが、自分を柔らかくしようとしない頑固な意識があるのと、年齢を重ねる度に人生の充実度よりもストレスや必ずネガティブ面にばかりフォーカスしていて、そこにずーっといたがります。
字を見てください、”頑固”
どっから見ても入る隙がなさそうじゃないですか(笑)
子供の頃のような素直さを取り戻すことがいけないこと、恥ずかしいことだと思い込んでいる大人が多いように思います。
次に、エゴ。
スピリチュアルの世界を学ぶ時、エネルギーワーク、チャネリングなどの精度がブレブレになるので、エゴが強い人にはこれらは不向きといえます。
私の経験からいえば、完全『無』の境地で行います。気づいたらそうなってるという状態です。
これが一番難しいところではないでしょうか。
瞑想時の雑念があるのは一般人では当たり前、我々のように見えない世界を学ぶ人間が瞑想する時は、雑念が出てくる前にすでに集中しているので高次意識とすぐ繋がり、自分に必要なビジョンやガイダンス等もしっかり理解できます。
なので、スピリチュアルの世界を学ぶこと、イコール自分がわかってくると集中力がまるで違います。
これも癖なんです。
あと、瞑想は目をつぶって座って集中しないとできないわけではなく、歩いてる時でも、走ってる時でも、料理中とか作品に夢中になっている時でも、極端な話、誰かと会話中ですら瞑想状態になることも可能です。
自分がリラックスしている時、ボ~っとしている時、何かに夢中になっている時など、自分で瞑想スイッチを押せば瞑想できる、そんな感覚です。
瞑想に集中できないのは、心身にストレスがあるよというサインですから、自律神経系がまず乱れている可能性があり、交感神経が常に優勢で緊張状態にあると思われます。
要は、顕在意識ではリラックスしたいと思っているのに、日頃からストレスに晒されて緊張状態が抜けなくなっているわけです。
これじゃあ夜も眠れないですよね。辛い。
ですので、不眠状態にある人というのは、基本的に自律神経系に問題があって、ストレスや心配、怒りなどのマイナス感情で心身がいっぱいいっぱいになっていると思うとよいでしょう。
午前中の太陽の光を5分でも浴びて、幸せホルモンのメラトニンを脳から出せば、夜はぐっすり眠れるはずです。
人間の体って、我々が思っている以上に賢くて素晴らしいですからね。
これだけ素晴らしい体が、本来の機能が正しくできていない時点でそれほど強力なストレスホルモンを自らで放出して自分を攻撃し、そのせいで病気を患っているかもしれないし、憑依による霊障も否定できないわけです。
病気は病院で医師と相談する必要が出てきますし、エネルギーワークを併用しても問題はありませんので、自分の肉体の可能性を信じてみるのも1つでしょう。
忘れてはいけないのが、我々の体には素晴らしい力『自然治癒力』が宿っています。
もう一度、生活全般、生き方全般を棚卸しして、自分を愛する、自分を丁寧に扱う練習も同時に始めるとよいでしょう。
エネルギーワークは、使ったら使った分、やったらやった分結果が出るはずです。
そう、エネルギーワークは歩合制なのです(笑)
やりがいがあると思います。
自分の可能性を信じ、自分を最後まで励ませるのも自分しかいません。