どこと繋がって生きているのか?
ここ重要です。
神や高次意識との繋がりがなしに人生はうまくいきません。
目に見えない高次の存在と目に見える魂との修行生活。
修行と苦行は違います。
ここがごっちゃになってる人は多いのではないでしょうか?
修行(しゅぎょう、異音:すぎょう)
仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ。
財産・名誉・性欲といった人間的な欲望(相対的幸福)から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態(絶対的幸福)を追求することを指す。-wikipediaから引用-
『生きていること自体に満足感を得られる状態』ですよ。
=生きてるだけで丸儲け、ということです。
自分は神様の分け御霊だから大丈夫!
ではなく、
分け御霊だからこそ、
与えられた機会、自分の課題と目的を全うすることが大切なのです。
どうであれ、
出会った人と何かあって、ばっさり切り捨てることは簡単ですが、
その後のしわ寄せを考えていない人、
その出会いや一連のことから学ばない人は同じ問題をくりかえし学びます。
でも、くりかえしている時点で依存です。
同じ問題や苦痛をくりかえすのは、依存癖と執着癖が強いからです。
そうすることに慣れていて楽だからです。
新しい状況に変化させることが面倒だからなのです。
それは見方を変えると傲慢といえるのです。
なぜなら、
神が与えてくれた絶好の機会を拒否したことになりますのでね。
自分は辛いからとか、今はできないからと思うかもしれません。
では、
その一連のことを何年も見守っている高次意識や神は辛くないのでしょうか。
辛いですよね。
気づいてくれない、目覚めてくれない。
神様は何でも許してくれる、
私はそうではないと思います。
何でも許してくれて、
怠惰で、傲慢でいることを責めないのは悪魔の担当です。
自分都合で自分に甘い時点で悪魔の介入があるからそうなるのです。
自分らしく生きていない時も、ずっと悪魔の介入があると思ったらいいですよ。
いつまで経っても居心地が悪い、
楽しくない、
理想の自分にもなれない、
将来の目標もない、
優柔不断で行動が遅い、
目的がコロコロ変わる、
集中力がなく注意散漫、
こういう時は悪魔が介入しやすくなります。
こういう生活、人生をずっと続けていると悪霊がたくさん憑きますから、気づいた時には自分がわからなくなります。
なので、
人生に満足して生きていない人は、まず悪霊祓いをしてからじゃないと、何を始めても続かないし、気づけないし、活かせないし、集中できないし、変容もないのです。
悪魔の介入がある時は必ず光を嫌い、光を避けます。
高波動域にいても何も見えない、感じない、わからないです。
低次意識が優位になるのでエゴの意識で、利己的思考と行動になります。
私の講座の【ミディアムシップ講座】を受講した方ならご存知だと思いますが、
憑依が長期間に及ぶと、自分ではない課題を背負い、才能も能力も発揮できなくなります。
しまいには、何のために生きているのかも希望が持てなくなり、行動に移さなくていい、やらなくていい言い訳をいつも用意するようになります。
覚醒してる人とそうでない人の二極化はもう何年も前から顕著でした。
低次元に留まる人、
真の自分と向き合い神と再接続されて生きる人。
こうなると、技術、能力、才能の開花、社会での貢献に差が現れます。
委ねる、謙虚に生きる。
知っているだけでは役に立てない。
できていなければ意味がない。
行動に移さなければ変われない。
自分と自分に関わる全ての人にも最善がもたらされる生き方は、
憑きものを外して自分を浄化して自分を知ることです。
神という根源との再接続がないかぎり、
真の姿で目覚めて生きることはないでしょう。