良識の外れた中高年、今本当に多いですね。
20~30代ならまだしも、
40にもなって!とか、いい歳して〇〇だったというようなお話、
外部からもよく聞かされます。
社会経験が多い・少ないの問題ではなく、
今まで誰とどんな時間を過ごしてきたか、
何をしてきたかによって、
その人間の人格、器、観念、習慣が決まります。
加えて、
霊格、意識レベル、エネルギーレベル、覚醒レベルも決まります。
同じことを習ってもすぐにマスターする人、すぐにアセンションする人、
逆にいつまでもアセンションしない人、自ら変な方へ落ちていくディセンションする人もいます。
どちらの人が、人からあるいは社会から必要とされるでしょうか?
明確ですね。
被害者意識を持って人と積極的に関わろうとしてこなかった人、
嫌なことから逃げて向き合ってこなかった人、
自分のことしか考えない傲慢で努力しない人、
無知、あるいは理性がきかない故に、
土足で人の領域に入ってくる自分都合の人、
このような人たちは、これからも出口のない迷路を彷徨い続けます。
目が肥えていない人ほど、
身の丈に合わない結果を欲しがりますし、
手っ取り早く何かを手に入れようとします。
手に入れたところで、自分を知らないのでまた次の何かが必要になり、いつも心は満たされず、余裕もない。
こういう不幸な生き方を続ける人と、
絶好調で幸せな人が真っ二つに分かれる時代です。
気づけば、変なものに踊らされて都合よく扱われ、自分を見失って生きる人が、これからますます増える、
犠牲と同情からは惰性と傲慢が生まれ、真実の愛と最善を萎えさせるかわりに虚栄と依存を植え付ける、とイエス様はよく言います。
”気づけない”のって、実に気の毒です。
それでいて、自分を正当化して自分の非は認めず、口を開けば言い訳で譲らない、
自分に都合が悪い時は、立場をわきまえず人に突っかかって攻撃してくる、
こういう人が今多い原因って、わかりますか?
魂が喜ぶ生き方をしていないから、心身にストレスという毒が溜まって誤作動を起こすのです。
選ばれる人と選ばれない人。
愛される人と愛されない人。
必要とされる人と必要とされない人。
一緒に何かをしたい人と関わりたくない人。
変な人は誰が接しても変だと気づくし、
同じ時間を共有したい人の周りには人が集まってきます。
何の目標を掲げ、何を行動して成し遂げ、どんな結果を出して経験をしてきたか?
他者や周囲とどう関わり、何をして生きてきたのか?
ここが自分がいる次元の快適さに比例します。