魂の解放が進むと、人は本質を取り戻し自由になります。
順調に解放が進むことで、その人らしさや自由を謳歌するわけですが、
ここで、大多数の人が神の道に入っていくわけですが、
自由と我儘を履き違える人がいます。
この国の教育システムは、確かに問題はあるけど、
真の自分に到達するためには、間違いや失敗も必要で、
人としての器も比例してきます。
無駄なことが無駄じゃなかったことに後で氣づけるようになっていて、
必要なものを神はすべて授けてくれていたことに後で氣づきます。
神はすべてをお見通しで計画を進めているのです。
なので、
人が集まるところであればあるほど、
一定数の濁りも入ります。
割合としては1割ぐらい。
濁りは、最初は隠れていて悪影響も少ないんだけど、
濁りが増えてくると分離させないと全体が濁ってだめになります。
自由と我儘を履き違える人は、靈性が低く協調性がない人。
社会生活の中で自分の立場を弁えず、協調性を学んでこなかった人は高慢になりやすく、一般的な職場では顕著に嫌われます。
人間関係に問題がある人の最大の原因は、
我儘だからです。
親からの扱われ方と、生きてきた環境に問題があり、
実地の社会生活では、自分がそこに馴染めるように鍛えなくてはなりません。
郷に入っては郷に従えと日本は言いましたが、
高慢になった人間=悪魔憑きは必ず抵抗します。
そして、
567から顕著に逆転したことが増えましたが、
その中の1つに、
子どもの頃、親とは特に問題がなく可愛がられて育った人が、
社会に出て自分目線で人に迷惑をかけていたり、
自分が他人に迷惑をかけていることに氣づけないのもこの人たち。
鈍感なのです。
長年サロンを運営してきて顕著なパターンというのがあるんですけど、
親に可愛がられなかった人は、周囲や相手の空気を読むことに意識を向けて理解しようとします。
=共鳴・共感能力が高い=繊細、靈能力が高い人たち
これ以上波風を立てないようにと協調性を重んじ、配慮できるのも可愛がられなかった人たち。
一方、
特段、親子関係に問題がなく、可愛がられた人の場合、場の空気が読めない=人の気持ちに鈍感で、常に利己的で自己中心的な思考です。
日本という国の民族は、
古来から礼節を重んじ、品性を大切にしてきました。
だから日本という国が、医療、食、経済、知能など、
世界からどんどん遅れて劣ってきているにしても、
おもてなしの心や、相手を尊重する心があったから日本はこうして残ってきました。
そして、
おもてなしというサービス精神については、日本は世界トップレベル。
しかし、
我を出すことで嫌われるのも日本の民族性でもあります。
古代の日本人と、今の日本人の決定的な違いは靈性の低さですが、
そもそも靈性が低くなった原因は、エゴの肥大化です。
自分の立場や場所を弁えず、
自分の一存で勝手なことをする人は自己愛が強い人。
真に目覚めている人は筋を通し、自分優先の押しつけや品性の低いことはしないものですが、
魔に憑りつかれた人間は節操がなく、いっしょくたな思考で、すべてに自己中心的で頼んでもないのに押しつけが多くなります。
これも親の育て方や、家庭環境に問題があったからです。
せっかく幼児期から学んできた”協調性”を活かせないことで、
地球では周囲との融合ができなくなっています。
神で満たされている人は邪魔をしませんし、人の課題を取りません。
聖人/星人からも慕われて守護が強くなります。
世の中の強運と言われる人たちには、数字に当てはめるなら最低でも8次元以上の強力な聖人/星人が束で付いています。
これらの聖人/星人たちや、日本の神々から学べるうちに学んで目覚めるしかありません。
高次と繋がっていると人生が盛り上がるんです。
皆が高次と繋がったらどんなに幸せかと思いお繋げしています。
神の子として人生を好転させましょう。
これからは二極化ではすみませんよ。